このたび、ツプテン・ジンパ博士の
「コンパッション 慈悲心を持つ勇気が人生を変える」の出版を記念して、
https://oejbooks.com/news/compassion/

ツプテン・ジンパ博士の動画をご紹介しています。

ここに3つ目のジンパ博士の動画をご紹介します。

「コンパッション(思いやり)を通して世界を変容する」
 ツプテン・ジンパ博士 基調講演より

“Transforming Society Through Compassion” Keynote Speech – Thupten Jinpa PhD

2021年10月10日から16日にかけて開催された、
リーズ フェスティバル オブ カインドネス、コンパッション&ウェルビーイングでなされた基調講演です。

この動画は英語で語られていますが、
YouTube動画の「設定」(右下の歯車のマーク)から
「字幕」→「英語」(自動生成)→「自動翻訳」→
「日本語」を選択することで、日本語字幕で見ることができます。


このビデオ動画の中で、ジンパ博士は、
「コンパッション(思いやり)を通して世界を変容する」
ということついて動画の34分ごろから話されています。

その話の概略について、テキストで読んでいただけるようにしました。

ジンパ博士の活動やヴィジョンを知っていただき、
「コンパッション」の理解を深める助けになればと思います。

この動画で、博士は4本の矢をたとえに使いながら、
コンパッションをこの世界にもたらすために、
個人的レベルからのアプローチ、
組織的、社会的なレベルでのアプローチ、
そしてリーダーシップや政策レベルから構造的なアプローチというふうに、

多面的な視点からコンパッションを
この社会にもたらすためのヴィジョンについて説明されています。

そしてコンパッションの視点を持つことで、
いかに私たちに健康や幸せをもたらし、
私たちをより幸せにする社会を作り出すことができるかについて語られています。


① 3つのレベルからのコンパッションのアプローチ

どのようにコンパッションでこの社会を変えていくか
ということを考えたとき、

次のようなことを想像してもらいたいと思います。

矢が下から上を向いていると想像してください。
そしてもう一つの矢が上から下を指しています。
そして次に、両サイドから二つの矢が中心を向いています。

ですから基本的に4本の矢があります。
一つは上から、
もう一つは下から。
そして2本の矢が両サイドから中心を向いていると想像します。

そしてその中心に、思いやりのある社会、という言葉が書いてあります。

基本的には、下から上を向いている矢は個人を表しています。
それを個人の分野と呼ぶことができます。
個人的なレベルに、どのようにコンパッションをもたらすのかということを表します。

両側からの矢は水平線的なアプローチを表します。
これは社会組織における重要な部門を表しています。

例えば、医療とか教育、法執行機関、
高齢者介護、職場文化のようなものです。

これらすべては中心にあります。
これらの態度によって
すべての市民の日常の生活に直接的なインパクトをもたらします。
これらは社会を作り上げる重要な部門です。
そしてその矢は中心を向いています。

そして上からの矢を想像してください。
それが下を向いています。
それはリーダシップや政策や方針、
社会の構造やシステム、
社会の価値、社会の文化などを表します。

私たちはコンパッションを通して社会を変容することに対して真剣です。
私たちは複数に枝分かれした総合的なアプローチを必要としています。

水平的には重要な部門と同時に、
私たちはお互いを思いやったり、
他の人々の必要性などを考慮するなどの、
下から上に向けての個人的なレベルでの
思いやりのあるアプローチを
策定する方法を見出す必要があります。

そして高いレベルでは
個別の国や都市を超えた、
思いやりのあるリーダーシップが求められます。

ここでは共通の価値観が問題になります。
共通の文化や社会的な文化、
最も大切なものとしての政策
が必要です。


② 個人的レベルのアプローチ

コンパッションの変容をもたらすパワーについていうと、
個人的なレベルでは、今日では、
コンパッションの科学においてとても大きな進歩があります。

そしてコンパッションの科学と
人間の健康や幸福についての科学と合わさって、
それらのことに関する多くの知識があります。

例えば、コンパッションは
個人の幸福の感覚ととても密接に関連しているということや、

高齢者において
どのように潜在的な孤独の問題に対して
緩衝材となるのかということや、

脳の報酬システムに関連して、
ヘルパーズハイといわれているような現象があることとか、

親切の受益者だけではなく、
親切をする人にとっても喜びの感覚があるということなど、

思いやりの行動に対する多くの研究がなされています。

最も大切なことは、
誰かがコンパッションを持ったとき、
コンパッションは自分自身以外にも、
もともと誰か他の人の必要性にフォーカスがあるので、
目的の感覚をもたらします。

ポジティブな意味で、
本当に誰かを助けることができたとき、
そのように誰かの人生に違いを作り出すことができるほど
意味のあるものはないということを私たちは知っています。

ですから、コンパッションは
目的に関するパワフルな感覚をあなたにもたらします。


何年も前のことになりますが、
ダライ・ラマが日本を訪れたとき、
青少年の自殺について大きな社会問題になっていました。

そこでダライ・ラマに、
「この問題に対する最善の方法はなんですか?」
という質問がなされました。

そこで彼が言ったのは、
「若い青少年にボランティアのワークをする機会を作りなさい」
ということでした。

とりわけ、
その違いを作り出したと感じることができる
開発途上国などで。

このことは、
コンパッションが目的の感覚を育てる
というコンパッションのパワーについて、
非常に重要な洞察をパワフルな形で示しています。

非常に多くの幸せに関する膨大な研究によって、
長寿と健康のために、
中心となる二つの重要な要素があることがわかっています。

それは「目的の感覚」と「社会的なつながり」です。

コンパッションの逆説

コンパッションは自分自身のことに加えて、
他の人の問題にも注意を向けることが要請されます。


常識的に考えれば、
どうして自分の苦しみに加えて、
他の人の苦しみまで面倒を見なければならないんだ

って思います。

しかし逆説に聞こえるかもしれませんが、
他の人の問題に興味を持つことが、
ある意味で、より大きな回復力を

私たちにもたらすことがわかっています。

例えば、最近デンマークでなされた、
コンパッション育成トレーニングについての研究の中で、
精神的に病んでいる家族をケアしている介護士に対する調査があります。

そのなかで、コースを受講したグループとそうでないグループとの間には、
落ち込みや不安の二つの重要な指標に対して、
かなり顕著な減少が見られました。

ですから、
コンパッションは私たちの回復力を増進させることができることがわかります。

簡単に言えば、
コンパッションは自然な人間の質ですが、
しばしばそれを抑圧してしまうという間違いをおかしてしまいます。

なぜならその問題を扱うことができないからです。
自分の中でいっぱいになってしまって、
それを抑圧してしまいます。

それを抑圧してしまうことで、
それが問題の源の一つになってしまいます。
自分を守るために抑圧するというアプローチをとってしまうのです。

例えばヘルスケアーの現場などで、
自分を守るための抑圧の方法として、
非個性化という言い方をしますが、
患者を扱うのに、
人間として接する代わりに番号で呼んだりします。
5号室の患者とか、3号室の患者とか。

しかしそうすることで逆にそれが燃え尽き症候群の原因になったりします。

このようにコンパッションが
個人の健康や幸せ、
回復力や目的意識に対して鍵となっている
ことがわかってきています。

そして私たちは
コンパッションというのは非常に自然なものである
ということを知っています。

それがコンパッションが
世界中のあらゆる宗教的伝統においも
基本的な価値になっていることの理由でもあります。

それは普遍的な共通した価値観なのです。
私たち人間は、
すべての社会でコンパッションを賞賛しています。
コンパッションはパワフル、自然なものなのです。

そしてまた、
コンパッション育成トレーニングでは
コンパッションは技術でもあると考えています。

もちろんそれを学ばなくても私たちは知っているわけですが、
トレーニングすることを通して、
それをもっと積極的なフォース(力)として使うことができるようになるのです。

私たちはコンパッションを意図的なものにすることができます。

コンパッションのスキルのいくつかは
もっと意識的なものです。
意識的になることで本来の自分でいることができるようになります。

とりわけ私たちが
困難でチャレンジのある状況に直面している時には、
恐怖でいっぱいになったり、ジャッジしたり、
疑い深くなったりというふうになるのではなく、

自分のなかにある
コンパッション(思いやり)につながることを選ぶことができます。

その選択する時間というのは、
その行動をする前には非常に小さなものですが、
しかし原理的には、そこにスペースがあります。

しかし意図を通して、意図を育成することで、
あるいはその習慣を育成することで、
私たちのより良い部分、
より良い自己をその状況にもたらすことができるようになります。


そしてそのことはとても大切なことです。
子育てや育児のスタイルにおいても
もっと慈愛をもたらすことができます。

自分にフォーカスすることを少なくし、
親なんだから尊敬しなさい、と言うのではなく。

それよりも私たちのフォーカスが
子供の必要性や子供の安全、子供の状況に根ざしていれば、
関係性の質はまったく異なったものになります。


態度や実際にする行動は同じかもしれませんが、
どこから来るかがまったく違ってきます。

子供はそのことを感じます。
同じことは学校の先生にも言えます。
同じことは医療のアドバイザーにも当てはまります。

コンパッションにおいては私たちは騙すことができません。
私たちはそれを感じます。


私たちは社会的な動物です。
そして動作の振る舞いには
多くのボディランゲージがあり声があります。

私たちは読み取ることに長けています。
コンパッションが表現されたり、
それをもたらすことを選べば、
それはパワフルなものになります。

個人のレベルでは私たちはよく知っています。
どのようにコンパッションをもたらすかとか、
コンパッションの潜在的なパワーにつながるかとか、
どのように個人を思いやり深くするとか。

そして最終的には、ダライ・ラマの言うように、
コンパッションをもたらすことを選べば、
最初にその恩恵を受けるのはあなた自身です。

コンパッションが
あなたの目の前の人にいる人に
物質的な利益をもたらすものである場合には、
他の要素にも依存します。

あなたの目の前にいる人が
あなたのコンパッション(思いやり)に
応える準備ができていないかもしれません。

しかしあなたは自分のハートを開く経験をしたのです。
ですから、自分の経験から、
コンパッションを選べば、そのパワーは明らかです。

ですから個人的なレベルでは、
誰もがそれに参加できるかどうかはまた別の問題ですが、
少なくともどのようにそれをやっていけば良いかということについては、
どんどん上手くできるようになっています。

コンパッションインスティチューでは
2百人を超える人が9ヶ月のトレーニングを受けて、
国際的なものになってきています。


③ 社会組織的なレベルでのコンパッションのアプローチ

2つ目の領域は、重要な分野ですが、
これらの機関の毎日の活動が日常的に私たちに影響を与えます。

医療はとても大切なものです。
現在生じている世界的なパンデミックでは、
医療従事者においてコンパッションの必要性はとても重要でパワフルです。


医療の提供者や職員だけではなく、
多くの犠牲を払わなければならなかった医療提供者にも、
患者や市民がコンパッションを持つことも大切です。

ときには家族が悩みを抱えていたり、
適切なときに処置を受けることができなかったり、
適切な場所に行けなかったりで、
フラストレーションを感じたりして、
医療従事者にそのフラストレーションの矛先を向けたり、
多くのストレスのある環境でした。

そんなフラストレーションの環境のなかでは、
私たちはみんながベストを尽くそうとしているのだということを忘れがちです。

このような医療の状況の中で
コンパッションをどのように積極的にもたらすかということに対して、
もっと明確にフォーカスすることが必要になります。

今では、常に緊急の苦しみにさらされているという
医療従事者の仕事の性質上、
初期の燃え尽き症候群の襲来を防ぐための
コンパッションの効用について多くの研究があります。


コンパッションインスティチュートではcarering from inside out
という6週間のコースを開発しました。

そこですることは、
感情的な制御についての大切なスキルを教えます。

気づきを感情に向け、意図につながります。
例えば、次の患者を診る前に一息入れることで、
次の患者を診るときにはフレッシュでいることができます。

そうすることで、
その前に起こったネガティブな影響を
持ち込まなくて済むようになります。
このように使えるスキルがあります。

教育も非常に大切な分野です

この分野はダライラマも多くの努力を注いでいる分野でもあります。
彼は、もし私たちが社会を変えることに真剣であるなら
子供の教育のレベルから始める必要があると信じています。

子供は共感やコンパッションを育成することの大切さについて
もっと学ぶ必要があります。

違いを受け入れ、文化や言葉や民族の多様性や
これらすべてのことについてくつろいでいられるように。

ですから学校は一つの領域で、
教師の教育もまた大切な領域です。

法執行機関もまたコンパッションが大切な役割を果たす大切な領域です。
国によっては、法執行機関の役人や警察官などは
ほとんど軍人のように見えますが、
彼らはコミュニティに奉仕するものだからです。

このように、コンパッションをもたらすべき多くの分野があります。

コンパッションをもたらすことで効果的に奉仕ができるとともに、
効果的に奉仕ができるようになれば、
その仕事も認められ感謝されるようになります。

そうなるとその奉仕の仕事に目的と喜びを感じるようになります。
その人たちも私たち同じく人間なのです。

このようにコンパッションのアプローチによって、
どうしてそのコミュニティに関わり、
その仕事をしようと思ったのか
という元来の意図にもつながることができるようにもなります。

そのように奉仕して人の役に立ちたいと思っていたはずです。
でも長く仕事をしているうちに
なぜその仕事をしようと思ったのかという、
その元の意図や情熱を忘れてしまっていたりします。

このようにコンパッションを
明確なやり方でもたらすことは本当に助けになります。

そして奉仕することの価値観や文化、
ものの見方や考え方、
奉仕することの意図として
コンパッションをもたらすことができれば、
もちろんそれを受ける市民は大きな恩恵を受けることができます。

その仕事をするにあたってこれまでとは違ったスタイルになるでしょう。
することは同じかもしれませんが、
コンパッションのアプローチを持ち込むことで
奉仕や仕事の質が変わっていくでしょう。

このように、
この水平的な領域にも
コンパッションはとても役立つものであり、
そのような領域にもコンパッションを持ち込み、
応用していくためのことがなされています。

組織にコンパッションをもたらす際に大切なことは、
そこで働く職員の人たちにオリエンテーションが必要になってきます。

どのように仕事をしていくかということについての
基本的な哲学や、
仕事をしていくにあたっての考え方を学ぶためです。

2つ目に必要となるのは、
例えば医療従事者だと、
コンパッションについて共有する言葉が必要になってきます。
コンパッションについて共有する価値観や基準が必要になってきます。

3つ目にリーダーシップが必要になります。
コンパッションがその組織やコミュニティにおいて
重要な価値観であるということを伝えて、
浸透させるためのリーダーシップが必要になります。

コンパッションはそれについて話だけでは十分ではありません。
それを実際に見せて、具現化して、
それを生きていく必要があります。

そうすることによって、
これらの鍵となる分野を発展させて、
変えていくことができるようになります。


④ 第3の領域にコンパッションをもたらす

私たちにとって最も大きなチャレンジは、
第3の領域に、
どのようにコンパッションをもたらすかということです。

リーダーシップ、ポリシー(政策、方針)、
社会の価値観、社会の文化のレベルに。こ

れは難しいことです。
これは最も難しいチャレンジですが、
コンパッションをこの領域に持ち込むことができれば、
そのインパクトはずっと永続します。

というのは、
これは社会や組織の構造的なレベルになるからです。

なぜなら、多くの社会では、とりわけ西洋では、
今、古いやり方でなされていたことのなかに埋め込まれてきて、
盲点やバイアス(先入観)となっていることは何か、
ということを理解しようと葛藤しているからです。

それをするにあたっては、
自分に気づきをもたらすということが必要になります。

同時にこれらのバイアスに気づきをもたらし、
取り扱うことができるように、
構造的な変化を始める必要があります。

もし私たちが構造的な変化をすることができれば、
その恩恵は広く共有されるようになり、
各個人にコンパッションのトレーニングを期待する必要がなくなります。

なぜなら、それは非現実的なゴールだからです。
しかし、構造的なレベルで変化を起こせるなら、
それを個人に期待する必要がなくなります。

もし世界中の市民の人たちに、
私たちの社会が、もっとやさしく、
もっと思いやりに満ちて、
安全な場所になって欲しいですか
というふうに聞いたら、
90%以上の人たちは「はい」と答えるでしょう。

これが世界の人々が強く望んでいることです。
あなたがどこに住んでいようと違いはありません。

ですから私は、
コンパッションを構造的な高いレベルで、
鍵となる原理として制定する方法を見出すことが、
本当に大きな違いを作り出すと考えています。

もちろんそのためには政策を策定する
専門家や社会科学の専門家などの助けも必要になります。

私たちが本当に真剣に社会を変容させたいと思うならば、
コンパッションをこの第3の領域にもたらすことが本質的なことだと考えています。

そして基本的人権が世界の概念を変えたように、
コンパッションの原理が人間の基本的人権と
同じレベルで尊重される日が来ることを願っています。

コンパッションの背後にある原理は、
弱い人たち、傷つきやすい人たちに
特別な注意を払う必要があるということです。


これが、
思いやりのあるアプローチの中核にあるものは何か
ということに関する、共通した考えです。


そのコンパッション(思いやり)のレンズをもって、
さまざまな問題に問いかけることが大切です。

私は、私たちの世界がもっとやさしくなり、
もっと思いやりに満ち、
もっと平等な社会になるように私は自分を捧げています。

私は30年以上ダライラマの専属通訳として捧げてきました。
そのダライ・ラマが身を捧げていたのが、
もっと思いやりに満ちた世界にすることです。

私がこの領域でできることは、
私の先生であるダライ・ラマに奉仕することであり、
彼のヴィジョンを実現することです。

ありがとうございました。