ジンパ博士の「コンパッション」の本について、
そのエッセンスをお届けするシリーズ。
https://oejbooks.com/products/compassion/
続きをお届けします。
今回は、ジンパ博士の生い立ちについて一緒に見ていきたいと思います。
この本の第一章のタイトルは「幸せの隠し玉 コンパッション」。
ジンパ博士の幼少期は過酷な境遇にありました。
「私は9歳の時に母を亡くした。
当時私はシムラーにあるチベット難民向けの全寮制の学校にいた。
私の両親は、1959年にインドに亡命したダライ・ラマの後を追って
国外脱出した大勢(88万人以上)のチベット難民の中にいた。
両親を含め、多くのチベット難民はインド北部の道路建設作業員宿舎で暮らすことになった。
チベットが中華人民共和国に併合された時、インドはにわかに2,000マイル
(約3,220キロメートル)以上に及ぶ国境の警備を強化しなくてはならなくなった。
すると道路の新設が急務となった。チベットから来たばかりの難民たちは、
この高地での道路建設という過酷な作業に恰好の労働力となった。」
そんな中で、ジンパ博士のお母さんは子供を産みますが、
衛生状態が悪かったせいで命を落としてしまいます。
「そんな境遇にもかかわらず、両親は私のために楽しい思い出を作ってくれた。
あの数年間を思い出すと、今でも温かい、感謝の気持ちが湧いてくる。
後でわかったことだが、母の死因は完全に回避可能だった。
道路建設宿舎で妹を出産した際の出血が、医療の不在と不衛生な環境により悪化した。」
そんな中でお父さんは僧院に入ってしまい、ジンパ博士は孤児になってしまいます。
そのとき彼を救ってくれたのは、お母さんの兄弟であったペンパ叔父さんでした。
「自分を孤児のように感じていた頃、叔父は私を自分の子供のように扱ってくれた。
彼の二人の娘たちは私と同じ全寮制の学校に行っていて、娘たちに会いに来るときや休暇に二人を連れて道路建設宿舎に行くときはいつも私も仲間に入れてくれた。一週間の滞在が終わるとき、彼は私たち3人にまったく同じ金額、2ルピー(約5セント)のお小遣いをくれた。
叔父や両親が味わった初期のインド難民の苦難について、大人になってよりよく理解するにつれ、彼の慈悲心と親切心がことさらに有り難く感じられる。彼らは新しい国にやってきたよそ者で、インドのモンスーン気候による容赦ない雨にさらされた道路沿いのにわか作りのテントで暮らしていた。お金はほとんどなかったが、叔父はなけなしのお金を私に分け与えてくれた。ペンパ叔父は私の人生で最も大切な人々の一人となった。」
このような悲惨とも言えるような境遇の中にあっても、
コンパッションがあれば、そこに幸せがあるんだよ、
ということをジンパ博士は語ってくれています。
ジンパ博士はコンパッション(慈悲心と親切心)を「幸せの隠し玉」と呼び、
ダライ・ラマは幸せになるための鍵だと言っていますが、
その例を、自らの体験をもってここで語ってくれているようです。
ブータンは経済的には貧しいにもかかわらず幸せの国と呼ばれ、
日本はなんと、2022年は世界幸福度ランキング54位で先進国中の最下位。
それを証明するかのように、うつ病は100万人を超え、自殺者も3万人を超えてきています。
どうしてなのでしょうか?
なぜ経済的には豊かなはずの日本人の幸福度がこんなにも低い数字なのでしょうか?
何かがおかしいとしか思えません。
ブータンでは、国の発展を図る指針として、GNP(国民総生産)ではなくGNH(国民幸福量)を取り入れ、国家としての幸福度を最大化しようということを政策に取り入れているそうです。
日本人も、自分にとって幸せとは何か、私たちが幸せになるにはどのようにすれば良いのか、ということをもっと真剣に考えてもいいのではないでしょうか?
そういうときに「コンパッション」はその一つの要素になるように思います。
CEI
えたに