苦しみの心を変革する

ペマ・チョドロンJANUARY 11, 2018

https://www.lionsroar.com/transforming-the-heart-of-suffering/

他人を思いやるためには、自分自身を思いやる必要がある

特に、ある人々…… 恐れ、怒り、嫉妬、あらゆる種類の依存症、傲慢、高慢、みすぼらしさ、利己的、意地悪、ほか何でもあり…… こうした人々を思いやることは、自分自身の中にもあるそうしたものを見つける苦しみから逃げないことを意味します。

実際、それによって痛みに対する態度全体が変わります。
痛みから逃げたり隠れたりするのではなく、心を開き、その痛みを感じることを自分に許すのです。

トンレンの実践は、私たちが行く先々で出会う、自分の苦しみ、また私たちの周りにある苦しみとつながるための方法です。
苦しみへの恐れを克服し、心の窮屈さを解消するための方法であり、主として、どんなに残酷でも冷たく見えても、私たちすべてに内在する慈悲の心を目覚めさせるための方法なのです。

私たちは、傷ついていることを知っている人、助けたいと願っている人の苦しみを引き受けることから練習を始めます。

たとえば、傷ついている子どもがいるとしたら、その子の苦しみや恐れをすべて取り除いてあげたいと願い、息を吸い込みます。
そして息を吐きながら、その子に幸せや喜び、あるいはその子の痛みを和らげるものなら何でも送ります。

これがトンレンの練習の核心です。
相手の痛みを吸い込むことで、相手が元気になり、リラックスして心を開くスペースが増えるようにし、息を吐きながら、リラクゼーションや、相手に安心と幸福をもたらすと感じるものを送るのです。

しかし、私たちはしばしば、自分自身の恐れ、抵抗、怒り、あるいは個人的な痛みや行き詰まりに直面するために、この実践はとてもできないと思うことがあるでしょう。

その時、あなたは焦点を変えることができます。
あなたはトンレンを、あなたが感じていること、そして今まさにあなたと同じように行き詰まりや惨めさを感じている何百万人もの人たちのために実践することができます。

もしかしたら、あなたは自分の痛みに名前をつけることができるかも知れません。
自分の中にある恐怖や憤り、怒り、復讐したい気持ちなど、それをはっきりと認識します。
それによってあなたは、同じ感情にとらわれているすべての人のために息を吸い込み、自分自身と数え切れないほどの他の人たちのために、安堵でも何でも、スペースを開くものを送り出せるのです。

あるいは、あなたは自分が感じていることに名前をつけることはできないかも知れません。しかし、胃の締め付け感や重苦しい暗闇など、何かは感じることはできます。
ただ、あなたが感じているものに触れ、息を吸い込み、私たち全員のためにそれを取り込み、私たち全員に安堵を送り出すとよいのです。

人はしばしば、この実践は、私たちが普段どのように自分たちがあるかの気質と反していると言います。
実際のところ、この実践の内容は、自分たちのやり方で物事を進めたいとか、他の人たちに何が起ころうと、自分たちのためにうまくいってほしいという様な気持ちに対して逆行するものになります。
この実践は、私たちが自分の周りに懸命に作り出そうとしてきた自己防衛の鎧を溶かすのです。仏教的な言い方をすれば、エゴの固執や執着を解消するということです。

トンレンは、私たちは苦しみを避け、快楽を求めるという通常の論理を逆転させます。そしてその過程で私たちは、利己主義という非常に古い牢獄から解放されるのです。

自分にも他人にも愛を感じるようになり、自分も他人も大切にするようになります。
慈悲の心が目覚め、現実をこれまでよりはるかに大きな視点で見ることができるようになるのです。

仏教徒が「シュニャータ」と呼ぶ無限の広さを知ることができるでしょう。
実践をすることで、私たちは自分の存在の開かれた次元とつながり始めます。
最初のうちは、物事がそれほど大きな問題ではなく、以前ほど強固なものでもないという形で経験するでしょう。

トンレンは、病気の人、死期が近い人、あるいは亡くなったばかりの人、あるいはあらゆる種類の苦痛を感じている人に行うことができます。
正式な瞑想修行として行うこともできますし、いつでもその場で行うことができます。
例えば、散歩中に痛みに苦しんでいる人を見かけたら、その場でその人の痛みを吸い込み、救いの手を差し伸べることができます。
あるいは、痛みを感じている人を見て、恐れや怒り、抵抗や混乱が浮かんできて、目をそらしてしまうかもしれません。その時は、自分と同じような人たち、思いやりを持ちたいと願いながらも恐れている人たち、勇敢でありたいと願いながらも臆病になっている人たちのために、トンレンをすることができます。

自分を責めるのではなく、自分自身の行き詰まりを足がかりにして、世界中の人々が直面していることを理解しましょう。すべての人のために息を吸い、すべての人のために息を吐く。毒と思えるものを薬として使うのです。個人的な苦しみを、生きとし生けるものへの慈しみの道として利用しましょう。