コンパッションのとても大切な要素として、
コンパッションは私たちが感情的になったり
モラルの混乱がある時に、
明晰さをもたらすことができるということです。
ジンパ博士は、コンパッションが
明晰さをもたらすことがあることについて、
次のような趣旨のことを語っておられます。
「不幸にも、今、多くの人たちが
コロナのパンデミックで経済的な苦境に立たされている人たちもます。
反面、多くの人たちはもっと収入を増やしたり、
あるいは、お金を使わないので経済的に豊かになっていたりもします。
それはどういう仕事、職業に就いているか、
どういう会社に勤めているかによっても人それぞれでしょう。
そんななかで、
幸運にも経済的な打撃を受けなかった人たちは
罪悪感を感じている人もいるかもしれません。
あるいは、自分がどうして
そのような不条理な不幸に巻き込まれなければならないのだ、
というふうに憤りを感じている人もいるでしょう。
さらには社会的正義の問題などに多くの人々が目覚めてきています。
世界で極端な政治的分断がなされ、
異なった政党間で辛辣なやりとりがなされています。
多くの人たちが、
このようなことについて
どのように考えればいいのか
ということさえ分からなくなって、
戸惑っていたりします
これらの状況において、
コンパッションをもたらすことは解毒剤になります。
ある人たちは
経済的に分かち合うことのできる立場にある人もいるでしょうし、
そうでない人もいるでしょう。
その場合は、奉仕を提供したり、
人助けをすればいいわけです。
コンパッションにはそのようなパワーがあります。
毎日流されるニュースに対しても、
これらの社会的な問題に対して
どのように理解すればよいのか、
どのように扱えばいいのか
がわからなくなるときがあります。
その混乱を断ち切るシンプルな方法として、
自分にこのように問いかけることができます。
『もし私がコンパッションのレンズを持っているとすれば、
私はこれをどのように見ればよいのだろう?』
個人的な罪悪感に対しても同じように問いかけてみることができます。
『もし私がコンパッションをもたらすなら、
どのようにこれを変えることができるのだろうか?』
人間関係の問題やチャレンジに対しても
同じようにすることができます。
両親と子供との間でも、
思春期の子供を扱うのは困難です。
反抗期にある子供は、
常に両親の権威に逆らったりします。
それらの状況において、
自分自身に次のような質問をすることで、
明晰さをもたらすことができます。
『ここで最もコンパッション(慈愛)をもたらすには
どうすれば良いのだろうか?』
こう問いかけることで、
コンパッションはパワフルなリソースになってくれます。
解毒剤になったり、
自分の中にスペースをもたらすことができるようになります。
私たちの中にある自然なコンパッションを育成して、
これらのリソースを使うことができるようにするために、
コンパッションについての仏教的な信仰は必要ありません。
コンパッションは
科学に基づいたメソッド(技術)として使うことができるのです。」
詳しくはこちらのページをご覧ください。
https://compassioneducation.jp/schedule#cct
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