今の世界に、何ができるのだろう?
ということが、いつも疑問でした。
しかし、だんだんその答えは明らかになってきています。
Oshoはいつも語っています。
人を変えることはできない。
変えられるのは自分だけだと。
「あなたにできることは自分自身を変えることだけだ。
世界は変えられない。変えようとすれば、
かえって災いとなり、害となり、
混乱を引き起こすばかりだ。
すでに世界は、混乱をきわめている。
それをさらに混乱させてしまう。
だから世界をそのままにしておけばいい。
あなたにできることはただひとつ、
内なる静寂、内なる至福、
内なる光明を達成することだ。
もしそれを達成したら、
世界に対する大きな助けとなる。
無知の一点を悟りの炎に変えること、
一人の人間を闇から光明へと変えること、
それは世界の一部を変えることだ。
そしてその変化した部分から、
ひとつの連鎖反応が生じる。
ブッダは死んでいない。
イエスは死んでいない。
死ぬということはありえない。
連鎖反応があるからだ。
ひとつのランプから、
ひとつの炎から、
別の炎が点る。
そうして後継者が現れる。
それがどんどん続いていく。
光明のない人間、
自分のランプに火が点っていない人間は、
他人を助けられない。
だから1番の基本は、
自分の内なる炎を達成することだ。
そうしたら、他人と分かち合うことができるーー
他人に光を点してあげられる。
それが伝授となる。
そうしたら、たとえ自分が体から消え去ろうとも
その炎は手から手へ伝わっていく。
永遠に至るまで伝わっていく。
ブッダたちは決して死なない。
悟った人々は決して死なない。
その光明が連鎖反応となるからだ。
悟っていない人々は、
決して生きない。
何の連鎖も生じないからだ。
彼らには、分かち合うべき光明もなく、
他人に点してやれる炎もない」
Osho
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コンパッション育成トレーニング(CCT)では、
コンパッションの炎を伝えようとしています。
先日「コンパッション」の本を読んだ方から以下のようなメッセージを受け取りました。
「コンパッション」を読んで、それを自分の中で実践することで、
わたしの中に流れるものが少し太くなった気がしています。
そうして、
ひとつのランプから
ひとつの炎から
の美しいイメージがコンパッションの炎のようで
瞬間瞬間にわたしたちは目覚めているし、
光明があるのだと思いました。
それは瞬間瞬間のものだけど、
わたしたちはこの内なる炎から
自分を生き、他人と分かち合うことができるんだなと。
本を読む前は、わたしの中にある慈愛がトレーニングすることで、
コントロールされたものになるんじゃないかと少し心配がありました。
だけども、やわらかさとか繊細さのコンパッションの質はそのままに
以前よりも自分の中にしっかりと感じるようになりました。
気まぐれとか、はかなげだったものが
本来のつよさを表現し始めているように思います。
わたしたちはついつい確かさとか揺るぎなさを欲しがるけれど、
「コンパッション」の本とOshoのメッセージから
わたしたちはすでにブッダであることを、
すでに目覚めていることを、
思い出す機会になりました。
すべての存在が幸せでありますように・・
すべての存在が苦しみから解放されますように・・
なっちゃんより
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コンパッションの炎が、多くの人に灯ることで、
少しでも私たちの周りが、家族が、社会が、
そして世界が明るくなっていけばいいなと思います。
OAU
えたに