この困難な時代を生きていくにあたって、
コンパッション(慈悲)はどのように役に立つのか、
ということを考えてみたいと思います。
「コンパッション育成トレーニング」(CCT)における
コンパッションの特性は、
それが科学的検証に基づいたものであるということです。
これまで宗教的なものとして提唱されてきているコンパッション(慈悲)と
CCTで教えているコンパッションは、
その本質は変わりませんが、
それが科学的にも根拠があると証明されたことで、
宗教的な文脈とは離れて、
普遍的な人間の本質に基づいたものとして、
誰もが使えるものになったということがその大きな違いです。
ここで、誰もが使える、
というふうに言いましたが、
誤解を招く言葉かもしれません。
もしコンパッションを宗教的な文脈でのみ考えれば、
コンパッションは宗教的な修行と切り離しては考えられないでしょう。
しかし、CCTでは
コンパッションを技術として使えるように教えています。
それはコンパッションを科学的な検証に基づいて教えているからです。
それは人間の遺伝子が科学的に解明されたことで、
遺伝子操作がなされるようになったことに似ているかもしれません。
遺伝子操作はなされるべきではないという
道徳的観点や議論はさておいて、
それが科学的に解明されたことで、
遺伝子に秘められていた可能性を
人間が技術として使うことを可能にしました。
それと同じように、
コンパッションも、
それが科学的に解明されたことで、
宗教的な文脈から離れて、
それを技術として使うことが可能になりました。
人間は進化の過程で
社会的的動物として進化していることから、
人間は本来、
つながりと関係性を持つことその性質として持っています。
ですから、
コンパッションは人間の幸せ、
あるいはウエルビーングと切っても切れない関係にあります。
そういう意味で、
利他主義にもとづいたコンパッションがなければ、
人間としての本当の幸せ、
ウエルビーングを自分の人生にもたらすことは難しいとも言えるでしょう。
しかしこれは、表面的に考えると逆説的にも思えます。
なぜなら、常識的に考えると、
「自分の苦しみもどうにかできないのに、
どうして他の人の苦しみに構うのか?」
と思ってしまうからです。
しかし、自分の狭い了見から出ると、
他の人を思いやることは勇気への扉を開くことになります。
例えば、川で愛する子供が溺れそうになっていたら、
自分が泳げないことも忘れて、
思わず飛び込んで助けようとするのではないでしょうか?
イエール大学の幼児認知研究センターの有名な研究があります。
子供がまだ話し始める前、
生後数ヶ月の子供でも、
子供は自然に、
助ける人と邪魔(妨害)する人を区別することができ、
子供は邪魔するものよりも助ける人の方を好む、というのです。
ですから衝動的なコンパッション(思いやり)の感覚、
親切への衝動が、
私たちの深いところに根付いている、
ということが言えるでしょう。
8世紀にチベットの仏教で
コンパッションのマスターだと言われている
シャンティデヴァは、
仏陀は長い間瞑想して
利他的な意図こそが最も高い恩恵の源となるということを語っています。
今の時代において、
このことに意識的に注意を向けることは
とても大切になってきていると思います。
なぜなら、意識的に注意を向けることで、
その質が育つからです。
しかも、この質、
このコンパッションの能力は
普遍的なものであって、
誰もが持っているものです。
それを得るために、
それを探したり、
努力する必要はありません。
そこに意識を向けることさえすれば良いのです。
それを段階的に身につける方法をCCTで学ぶことができます。
とりわけ、自分自身を批判したり、
自分に厳しすぎるような、
セルフコンパッションの問題を抱えている人にとっては、
本来の人間として持っている自己価値の感覚を持つことは大切であり、
このコンパッションを認識し、
それを使うことができるようになることは大きな助けになるでしょう。
また続きは、次回に。
CEI
えたに