著:ジャスティン・ホーン
この1年間、私は高速道路でのエンジンブロー、ヒューズ切れ、ガス欠という3つの車のトラブルに見舞われた。
いずれも他人の車を運転しているときに起きたもので、それはさらに感情的な面が悪化してしまう。
自分の車にはジャッキや予備のヒューズといったものを積んでいるし、1ガロン以下の燃料で急な傾斜地に駐車しないよう心得ている。
こういったことが起こるたびに、助けようとしない人々の態度にうんざりしたものだ。
友人のロードサービスが来てくれることを祈りながら、フリーウェイの脇で立ち往生し、レッカー車が目の前を通り過ぎていくのをただ見ていた。
ガソリンスタンドでガソリンを貸してくれるよう頼んだら、「安全上の理由で」貸せないと言われた。ただ、1ガロン缶(キャップなし)を15ドルで買うことはできた。 それは私に「この国は地獄に落ちつつある」などと言わせるには十分だった。
でも、3回とも私は助けてもらった。
一体誰が助けてくれたと思う?
移民だ。メキシコからの移民だ。彼らは誰も英語を話せなかった。
そのうちの1人は、家族4人を引き連れていたにもかかわらず、ブローアウトした私を助けるために立ち止まってくれた。
私は友人の大きなジープとともに3時間近く道路脇にいたんだ。窓に “NEED A JACK “と書いた大きな看板を立て、お金を出した。何も起きなかった。
私があきらめてヒッチを始めようとしたとき、バンが停まり、男が飛び出してきた。
彼はすぐに状況を把握し、英語を話せる娘を呼んだ。
ジャッキはあるがジープには小さすぎる。すると彼はバンからのこぎりを取り出し、道路脇の大きな丸太の一部を切り取った。私たちはジープを横倒しにして、彼のジャッキを上に乗せると、いよいよ本番である。
ホイールを外し始めたら、信じられないかもしれないけど、私は彼のタイヤレバー(タイヤ交換用具)を折ってしまったんだ。折りたたみ式のやつだったんだけど、油断していて、頭をポキッと折ってしまったんだ。くそっ。
「心配は要らない」。
彼はバンに駆け寄り、それを奥さんに渡すと、奥さんはあっという間に新しいタイヤレバーを買いに走って行ってしまった。彼女は15分で戻ってきた。私たちは少し汗をかき、罵り合いながら(丸太が折れ始めた)仕事を終えた。私は幸せな男だ。
私たち2人は汚れ切って汗まみれだった。
彼の奥さんは、私たちが手を洗うための大きな水差しを用意してくれた。
私は男の手に20ドルを渡そうとしたが、受け取ってくれなかったので、代わりにバンに上がり、できるだけ静かに奥さんに渡した。私は皆んなに片っ端からお礼を言った。
あまりの素晴らしさにプレゼントを送ろうかと思い、小さな女の子にどこに住んでいるのか尋ねた。彼女はメキシコに住んでいると言った。彼らはオレゴンにいて、これから数週間、パパとママはサクランボ狩りをする。それから桃を摘んで、故郷に帰るんだと。
別れを告げ、ジープに戻り始めると、女の子が声をかけてきて、昼食を食べたかと聞いてきた。
私が「いいえ」と答えると、彼女は駆け寄ってきて私にタマーレを手渡した。
この家族は間違いなく、あのハイウェイを行き交う他の誰よりも貧しく、時間で働く季節労働をしている。にも関わらず、レッカー車に乗った人たちが通り過ぎるなか、道端の見も知らぬ男を助けるために1日のうちの2、3時間を割いてくれたのだ。
でも、私たちの話はこれで終わりではなかった。
私はもう一度お礼を言って車に戻ると、タマーレのホイルを開けた(この時点でお腹が空いていた)。
すると何を見たと思う?私の20ドル札だ!
振り返ってバンに駆け寄ると、男は窓を開けた。彼は私の手にある20ドルを見て、ただ首を横に振った。
私は両手を広げて「どうか、お願いします。どうか、どうか。」と言うことしかできなかった。
男はただ微笑み、とても集中しているように見えたのだが、英語でこう言った。
「今日はあなた、明日は私。」
そして彼は窓を閉めて走り去った。後ろの席から彼の娘が手を振ってくれていた。
私は車の中で今まで食べた中で最高のタマーレを食べながら、ただ泣き始めた。
この1年は私にとって荒れた年だった。それはあまりにも突拍子もないことで、私にはどうすることもできなかった。
あれから数カ月、私はタイヤの交換を2、3本助け、ガソリンスタンドまで何度か送り届け、ある女の子を空港まで送るためにわざわざ50マイルも走ったことがある。
お金は受け取らない。でも、何かお手伝いできる度に、銀行に何かを預けているような、そんな気がするんだ。
ジャスティン・ホーナーはオレゴン州ポートランド在住のグラフィックデザイナー。
このエッセイは、reddit.comの掲示板投稿を参考にした。